精神疾患の病状についての主観的解釈と偏見

精神科の実習でも、最終日に講師の先生による総括が行われた。私たちのグループはなんとか無難に口頭試問をこなした。
最後に、「何か実習を通しての感想」を述べることになった。私たちのグループでは、「彼」のことがみんなの印象に残っており、何人かが彼を通して感じたことを話した。私も、「実習をさせていただく学生として、入院中の方に対する配慮をすべきだった」という反省めいたことをいったように記憶している。
そして、グループのある女子学生も、彼についての感想を述べた。「あんなに調子がよかったのに、ちょっとした話で急におかしくなってしまうなんて、精神病は難しいし、怖い病気だと思いました」
すると、それまでニコニコと穏やかに話していた講師の先生の表情と口調が、一転して厳しいものになった。
「おかしい、とはどういう意味ですか?」
と、怒りを抑え込むように言った。私たちは、先生がどうして怒っているのか、訳がわからなかった。
そのとき、先生はしばし考えていたが、
「精神病は、残念ながら偏見がついてまわる病気です。それも、医療従事者の方が医療に従事していない人に比べて偏見は強いという調査結果もでています。医学生にしても、入学時に比べると6年制のほうが偏見は強くなっている。なぜなんでしょうか?
ほかの科の先生方にしても、もちろん個人の性格や品格の問題は大きいですけど、「きちがい」とか「おかしい」というふうな言葉を平気で遣う。深い意味はないと思うかもしれない。君にしても、そんなつもりで言ったんじゃないんでしょ?」
女子学生は神妙な顔つきでうなずく。
「私は精神科医だから、変に敏感なのかもしれませんね。でも、皆さんももう少し敏感になって欲しいとも思うんです。軽率な私たちの言葉が、不要な誤解を生み、偏見を強めることもあるんですよ」
女子学生はもう泣き顔に近い。
「偏見は、患者さんを傷つけます。私たちは、第一に患者さんの害になることをしてはいけないんです。ヒポクラテスの誓いにありますよね?今回の"彼"にしても将来について悲観したことが病状悪化に与えた影響は大きいですよね。これからは"おかしい"じゃなくて"病状"として表現して下さい」
先生は穏やかな口調に戻り、私たちに語りかける。私たちはうなずいた。
「彼は、知的にも高いし"精神疾患に罹患した"ということを、今後社会の中で自分がどう扱われていくかということについても、常に意識して不安を感じながら生きています。彼を通して思うところがあったなら、そういったことも少し考えてみて下さい」


病気の症状も、一般的でなかったり、接した経験が少なかったりすれば、主観としては「おかしい」とか、「きちがい」と捉えてしまいがちです。この女子学生にしても、単に接した経験の少なさが「おかしい」という主観を呼び起こし、それが「恐怖」という感情に結びついてしまっただけなのだとは思います。
一般人ならそれでいい…とは思いませんが、彼女は医学生です。それも、5年生です*1。少なくとも、座学の上では5年生に進級できて、ポリクリに出してもらえるだけのスキルはあったということです。臨床の場面では、現時点では医師ではなくても、「医学というサイエンス」の視点、つまり「客観的な視点」が求められると思うのです。この講師も、そういうことが言いたかったのではないかと思うのです。
この彼女は、良い指導者に恵まれたと思います。患者の「病状」をまっすぐ、かつ客観的にに見つめられるプロフェッショナルな医師になってくれていることを願います。
そして、一般社会にも、主観を捨てきれないまでも、その「おかしいと感じること」が「病状、病気の一種の表現」である場合があると感じられる人が少しでも増えていくと良いのに、と思います。自戒の意味も込めて。


↓↓↓冒頭の囲み部分はコチラからの引用です♪ぜひご一読を♪♪

精神科ER緊急救命室

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*1:引用文には出てきません